波多野さんのブログの
『アナログとデジタルの狭間』を読ませていただきました。
そのトラックバックです。
デジタルミスの発生、まさにそのとおりだと思います。
じゃあ、なぜ簡単なデジタルミスが起こるのか?
ですが、
「活字に弱い」
「データはすべて(勘よりデータ)」
「コンピューターは万能というイメージ」
という考え方が、まだまだ、強く意識されたときにIT化が推進されたからではないでしょうか?
例えば、汚い手書きでゴシップを書いても信じないが体裁を整え、活字になっていると信じてしまうという文化
今は、だいぶ違ってきていますが、コンピューターと付き合うことが、少なかったときには、コンピュータは万能というイメージがありました。
(ある意味、コンピュータとの異文化コミュニケーションが取れていませんでした)
特に、初期のSFや漫画の影響で、一を聞いて百を実行するのがコンピュータである、みたいな感覚があり、実際は、真逆で、一を聞いて一しか実行できない。
実行内容を色々組み合わせれば、何個もできますが,やはり実行内容と組み合わせをプログラミング(指示)してあげないと何もできません。
この事が、しっかりと理解されていなかったからではないでしょうか?
人間の場合、手書きの文書を誰かに渡して、「これワープロで打っといて」とだけ言えば、その人のスキルにもよりますが、内容を見て、何処宛の文章かで、体裁を整え、誤字脱字を直し・・・・と、いろいろやってくれます。賢いですね人間って。
ところで、コンピュータに同じように、「これワープロで打っといて」と言っても、誤字脱字や、段落組みも関係なく、手書きが活字になるだけです。
これやってのときに、どうするのか?
すべてのロジックをプログラムしてやらないと、人間のようにはできないのです。
で、巷でよく言われる使えないシステムや、波多野さんのいうデジタルミスですが、結局はコンピュータとの異文化コミュニケーションが取れていないことが原因ではないでしょうか?
アナログをシステム(デジタル化)する時のクライアントは、大抵プログラムが書けないので、コンピューター言語の解るプログラマーに頼みます。
上述の例であれば、この手書き文書をワープロで自動処理するシステムをつくって、と頼みます。
そのときにも、頼み方がこれでは、結果、そのまま、ワープロで表示させるだけです。
結論、クライアントとしては、こんなの使えない。秘書がやってくれるようにできると思ったのに、と言うことになります。
私は、あるシステム開発で、システム開発会社とクライアントの現場との窓口として仕事をした経験があります。
システム開発で重要なのは、アナログで発注するクライアントと、デジタル化する人の言語(コミュニケーション)を仲介する人のレベルというのも、そのひとつではないでしょうか?
このレベルと言うのは、英語を日本語に翻訳するときの意訳ができるかどうかというレベルに似ています。
英語を直訳しても、チンプンカンプン、意訳して、言葉として解りやすくなったとしても、真意が伝わらない、意訳して、英語圏の文化の違いや、隠れた意味を補足して、日本語でいうこのくらいのニュアンスであるとまでして、初めて伝わります。
システム開発も同じで、プログラマーとクライアント同じ日本語を話していてもきちんと伝わっていないことが多いです。
先ほどの「こうしたい」の裏には、いろんなロジックが潜んでいるからです。
それは、クライアント側にどこか、コンピュータはなんでもやってくれるという思いが何処かにあって、こうしたいと言えば、全てできてしまう。アナログ側で持っているノウハウ(ロジック)は、勝手に組み込んでもらえるだろう、またそれ以上の物ができるんだろうと考えてしまうからではないでしょうか?
それが、根底にあって、さらに、活字に弱く、データは神様、的な部分もあるので、デジタルで、出てきた結果に対する反応には、困ったものです。
どこか安心してしまい、チェックが甘くなってしまいます。
私は、システム開発以外に、データ処理や、棚おろし管理等もしていましたが、データミスがある度にいっていたのは、
「データなんて所詮データ、現物にはかなわない」
と言うことです。
データ処理部隊が、よくこれが、今月の結果でこうなっています。と説明をし、おかしなところを突っ込むと、
大抵「いえ、見直したんですが、データ上は、大丈夫です」と返ってきます。
彼らにとっては、データがすべて、コンピュータの結果は、正しいと言うのが、根強く意識されていますが、何度もいいますが、
「データなんて たかが、データ。現物にはかなわない」
ここなんです。
構築されたシステムそのもののロジック(プログラム)が間違ってる、ロジックの見直しなんて、考えようともしないんです。
データ上、何処には、在庫が50となっていても、実際、45個しかない。
そしたら、正しいのはどっち?
当然現物です。
コンピュータの結果は、運用する人間が間違えればいくらでも間違えるし、プログラム作成時のロジックが間違っていれば、当然違う。
当たり前のことなのに、
「活字は正しい」
「データがすべて」
「コンピュータは万能」
という思い込みに加え、何となく
「人間はミスする、コンピュータは正確」
という雰囲気も有り、「デジタルの結果も間違っている」ことがあるという当たり前のことが、当たり前と認識されていない。
これが、認識されないと、デジタル社会のミスは減らないと思います。
うちのスタッフにも、「データなんて たかが、データ。現物にはかなわない」
を言い続け、半年くらいしないと、デジタル完璧思想みたいなものは、払拭できず、デジタル処理されたデータをきちんとチェックするという習慣は、身に付かないものです。
システム開発のクライアント側、運用側で、根本的なデータチェックの意識が高まり、こういう変な結果が出たのは、きっとこんなロジックを組んだのでは?って仮説をたてるとこまでできる人材が増えてくると、デジタル世界のミスも減ってくるのではないでしょうか?
「でんしんぼう」
この言葉、違和感なく受け入れられる方、迷わずトラックバックです。
なんで違和感が沸かないだけでトラックバックかって?そのときに、お教えしましょう。
こんなタイトルつけといて、「でんしんぼう」の写真でも載せようと思ったら、うちの街には、「でんしんぼう」なかったんだっけ。( ^ ^ ;)